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中国のどうでもいい話

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保守新時代-上- 第四部 自民党と中国・1(産経新聞紙面04/02)

 小泉政権の誕生以来、日中関係は「国交正常化以来、最悪」(日中関係筋)の状態にある。九月の自民党総裁選でも対中外交が大きな争点として浮上する中、自民と中国の関係を検証する。

 中国の国家主席・胡錦濤が三月三十一日、元首相・橋本龍太郎ら日中友好七団体の代表らが顔をそろえた北京市内の人民大会堂で、首相の靖国神社参拝を非難し始めると三十人以上が座っていた大広間はシーンと静まり返った。

 「意外とはっきり言ったな」

 出席者の1人は、「ポスト小泉」の首相が靖国に参拝しても首脳会談に応じないとの主席のメッセージに戸惑った。前夜、在中国大使・阿南惟茂から「靖国問題でどういう話をしたらいいか、(中国の)上層部が議論している」と聞かされていた。だが、訪中団には「今回は友好第一で靖国問題で具体的な言及を避けるのでは」という楽観論が流れていたからだ。

 橋本は「日本へのメッセージとして受け止める」と言うのがやっとだった。

 翌四月一日の中国共産党の機関紙「人民日報」は、「胡錦濤は、日本の指導者がA級戦犯を奉る靖国神社を参拝しない決断をすれば、すぐに関係改善のため首脳会談に応じると強調した」との大見出しに一面に記事を掲載した。だが、会談で元自治相の野田毅が、「戦争への被害者への思いが日本には欠けているが、中国も愛国教育が反日につながっていないか考えてほしい」と主席にやんわり注文をつけた事実は一行ものらなかった。

 中国が「ポスト小泉」をにらんで、古くから日中友好に努めてきた七団体を「対日宣伝戦」に活用したのは明白だった。

 中国の対日工作は、昨年十月の小泉の五度目の靖国参拝直後から活発化した。政府筋によると、駐日大使の王毅は昨年十二月に一時帰国し、党や政府幹部と対日方針の協議を重ねたという。そこで、「靖国問題では妥協しない「対日重視の姿勢を打ち出す」「経済、文化など各分野などでの日中交流を拡大する」との方針をまとめ、王は日本に戻った。

 二月中旬には大阪、福岡など国内五箇所の総領事を東京に急遽集め、「日本の世論に注意を払いながら(各界に)働きかけるように」と命じたという。こうした動きに自民党幹部は「七団体の訪中要請は中国の対日方針を踏まえたものだ。中国は『ポスト小泉』を親中派にしようと動いている」と不快感を隠さない。

 日中関係筋によると、中国の対日政策責任者が「七人のサムライ」と呼んで頼りにしている現役の自民党議員がいる。七人は1河野洋平2福田康夫3野田毅4二階俊博5加藤紘一6山崎拓7高村正彦―で、順位は「親中」の度合いと期待度なのだという。

 町村信孝は外相在任中、反日デモや中国原潜の領海侵犯が相次いだころ、「親中派」の有力議員と言い合った。その議員は「中国にはあまりモノを言ってはいけないんだよ。日本がモノをいわないで日中関係は成り立っているんだから」と忠告したが、町村は「違う。日本は主張しないできたから国民に反中感情が生まれた。議論はしなければならない」と反論した。

 一方、「親中派」の野田は、「トップがケンカするなら皆が一緒にケンカするのか」と議員外交が中国との友好関係を維持していると強調する。そのうえで、「抗議や主張をするだけが外交ではない。外交は結果だ。今の対中外交は主張すればするほど、望んだ方向とは違う方向に進んでいる」と語る。

 「親中派」ながらかつて中国から「争友(互いに競い合う間柄の友人)」と言われた人物がいた。日中国交正常化に尽力した元厚相、古井喜実(平成七年死去)だ。中国が改革開放に沸いていたころ、中国要人が古井にこうたずねた。

 「どうですか。今の中国は明治維新よりも発展のスピードは速いでしょう」。古井は「いや。日本に及んでいない点が二つある。教育制度と港湾整備だ」と即座に指摘したが、中国要人は大きくうなずき、耳を傾けたという。

 胡錦濤と友好団体代表との会談では、東シナ海のガス田や在上海総領事館員の自殺など中国にとって耳障りな話題は出なかった。問題山積の今こそ「争友」が求められる。

 あの時期に町村に「モノを言うな」とほざいた議員の名前公表プリーズ。ほんの数年前まではそういうノリで対中外交やってたのね。


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